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路地裏の中年

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やまめるマガジン

 最近、寅吉の先輩からメルマガが届く。寅年、獅子座の阪神ファン。
 このあいだの愚痴編と銘打ったメールを転載させていただく。これも路地裏の中年のつぶやき?

 最近の日本人(自分も含めて)は堕落している!
  最近の若い者がダメなんじゃなく
  いい年こいたジジイやババアもダメ!
  タバコの投げ捨て!(自分に家の前にも捨てるのか!)
  電車の席に荷物を置き(買い物荷物は乗車賃払っていない!)
  自分の子供を殺したり!
  自分の親を殺したり!
  ホームレスを川に投げ捨てたり!(やりかえしたろか!)
  やり返すと(少年を殺害したホームレス!ホームレスを放置するな!に問題をすりかえる)
  悪い事を注意すると逆切れされ殴られる!(殴り返すと暴行罪で逮捕!)
  売春は非合法で援助交際は合法?
  自転車の暴走!放置!(邪魔だから投げ捨てると器物損害で逮捕!)
  日本には正義がなくなり、道徳がなくなり!国が亡びるな!
  と思っているのは私だけ!?
  そうだ!江戸時代のご隠居さんは明治の若者を見てどう思ったのか聞いてみたい!
  と思っているのは私だけ!?

 確かに。あなたの感性は正しい。
 でも、やまめるマガジンは、自宅のアドレスに送って下さい。会社のアドレスだと気が引けますので。
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ひとりごと

 寅吉が中学生になった頃、「ビートルズ派」と「サイモンとガーファンクル派」が存在してた。寅吉は「サイモンとガーファンクル」が好きで、彼らのアルバム(まだ、CDが世に出る前、LP版のレコードでした。)を買いあさっていた。
 小学校6年当時より深夜族(ラジオの深夜放送を聞いているリスナー)になっていた寅吉は、そこで洋楽(海外のポピュラー音楽)に出合うことになった。当時、ビートルズの「Let it be」を「エルピー、エルピー」と歌っていた頃。(そう、聞こえていたんだ。)

 でも、最初に洋楽のレコードを買ったのは、中学1年当時の全米チャートを賑わした、ビョルン&ベニー(スェーデン出身のディオで後にそれそれ結婚し、アバとなる。)の「木枯らしの少女」だった。その頃の友人に「サイモンとガーファンクル」を紹介され、一発でのめり込んだ。映画「卒業」のリバイバル・ロードショーが「テアトル東京」で行われそれを見に行ったのがきっかけかなぁ。

 特にポール・サイモンの詞は、大人になろうとしていた当時の寅吉の心に響くものがあった。当時(今も)英語の知識は乏しく、訳詞をみて理解していたんだけどね。

 今も、サイモンとガーファンクルを聞くと、あの頃がフラッシュバックする。

 ステレオに4チャンネル方式が登場(ソニーとビクター陣営の争いで結局消滅)
   当時のステレオは家具調のものが多く、コンポスタイルのものが出始めた頃。
 寅吉はお年玉でプレーヤーとアンプ一体型にスピーカーという簡易なステレオを
 初めて購入。
  それまでは、おばあちゃんの蓄音機でソノシートを聞く程度だった。

 当時の洋楽チャート
  「ローズ・ガーデン」「マミー・ブルー」「アメリカン・パイ」
  「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」「スパー・スター」等
 日本のチャート
  「また逢う日まで」「出発の歌」「真夏の出来事」等

 ポール・サイモンについては、またの機会に書くことにして、「ガーファンクルが大麻所持で逮捕」のニュースを聞いて、少し感傷的に当時を思い出した。

年が明けた。

年が明けた。
 去年はいろいろなことがあった。阪神が優勝するという嬉しいことも。
 その他、いろいろあったね・・・・・。
 初詣に出かけた浅草寺のおみくじは見事に「凶」。どうなっとるんじゃーっ!と思いつつ正月は過ぎていった。今年も(今年こそ)いいことがあるといいのだが。
 昔の正月の光景はをふっと思い出す。
 寅吉の家は浅草で洋品店を営んでいた。昔の洋品店の大晦日は、それはもう大騒ぎさ。現在のように物の溢れる、何でも手に入る時代じゃない。せめて、新年ぐらいは、新品の下着や新しい洋服で迎えたい。そう考える人が多勢いた。お店も深夜営業でがんばる。当時、家には住み込みの店員さんなんかもいて、両親、祖母を含め食事を取る暇もないくらい忙しそうにしていたっけ。とくに、紅白歌合戦が始まると、多少お客が減る。まあ、それほど国民的番組だったんだなぁ。当時は。そこで皆は、変わりばんこで食事だ。まあ、食事といってもおにぎりとか簡単なものだった記憶がある。その瞬間だけテレビ(紅白歌合戦)を見ていた。子供だった寅吉はそんな大人達を、こたつに入りながらテレビを独占状態にして眺めていた。一年で一回、夜更かしが許される夜を嬉しく思いつつ。

 そうして、紅白歌合戦が終わると、(例の行く年、来る年がはじまり、どこぞの寺の鐘が映し出される頃)店は再び忙しくなる。浅草寺に初詣に行く人が店の前をどんどん歩いていく。晴れ着を着たお姉さんなんかも結構いたんだなぁ。

 そうして、一段落して、店を閉める頃は年も明けて午前2時頃か。(もっと、昔。寅吉の物心がつかない頃には、明け方までやってたらしい。)閉店のゴミなんかを、店の前で焚き火で燃やし、営業は終了する。それからみんな銭湯へ出かけるんだ。(当時、家風呂なんてなく、我が家は銭湯へ行っていた。大晦日は銭湯も深夜営業だったんだなぁ。ていうか、すべてのお店が大晦日は深夜営業だったんだ。)

 その焚き火の向こうを晴れ着の姉さんが、しゃなり、しゃなりと浅草寺へ向かって歩く。その光景が、寅吉のお正月の光景だ。決して、裕福でも、余裕なんかもなかった時代だけど、みんな忙しそうにしてばかりだったけど、来る年への希望や、新年の楽しさ(多分にお年玉の皮算用や親戚なんかが集まって花札やトランプをして遊んでもらえる嬉しさ。)を感じることができる光景だ。

 なんか、よかったなぁ。

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房 寅吉

房 寅吉

東京は下町 浅草生まれ、昔少年だった寅吉も中年の域に達してまいりました。

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