路地裏の中年

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さらば、ゴジラ・・・・

 最後というキャッチに誘われて、「ゴジラ FINAL WARS」を見てきた。
 ゴジラで育った寅吉にとって、チョットなぁって感じだった。
 
 ネタバレ(これから見ようって人は、読まないほうがいいかもね。)だけど、マトリックスとインディペンデス・デイの映像を宇宙戦艦ヤマトのストーリーに載せて、ゴジラをチョイとまぶしましたって感じなんだよねぇ。
 イスカンダル星の放射能除去装置・コスモクリーナーが、北極に眠るゴジラってことかいっていう意味。そしてヤマトが轟天号。ドン・フライは、沖田艦長。松岡君が古代進、北村氏がデスラーって具合かな。

 心のなかでゴジラは違うんだよ!って叫んでたよ。
 寅吉の中のゴジラは、「キングコング対ゴジラ」(1962年)から、「怪獣大戦争」(1965)ぐらいの映画(このあたりは、リアルタイムで見ている。)と、後で見た初期の「ゴジラ」(1954)と「ゴジラの逆襲」(1955)(まだ寅吉が生まれる前の映画だよ。)にあると思っている。

 浅草に育った寅吉は、ゴジラ映画を見に行くのももちろん浅草の映画館。(浅草東宝だったと思う。)
 でも、当時幼稚園から小学校低学年の子供がひとりで行けるわけがないっていうか、小学校では、保護者の同行なしでは禁止されてた。幼稚園のころは、たぶんとか、おばあちゃんに連れってもらった記憶があるが、小学生になるとんなかなか連れてってくれるってこともなく、親は商売をしていて映画に連れてく暇もなかったようだ。当時は、今にみたいに、決まって日曜が休みってわけでなく、毎月10日と22日が休みというように曜日に関係ない休業日であった。(ほんと、月2回の休みだけでよく働いていたと思うよねぇ。)友達の親も似たり寄ったりで、ゴジラ映画に関わってる暇がない大人ばかりだった。
 そんな中、親達は映画館の前まで送っていき、子供達だけで映画を見て、終わった頃に親が迎えに来るってことで、子供をゴジラ映画に行かせてくれたんだ。だけど、子供は、1回だけでなくもう1回見たいと思い、終了時間に親が来てもなかなか映画館から出てこないってことも結構あったらしい。なんせ、当時の映画はだいたい2本立てで、ゴジラも「若大将シリーズ」や当時の流行歌を題した映画なんかと一緒に上映されてたから、ゴジラをもう1回見るには、「若大将」を1回見た後となる。まぁ、時間かかるわなぁ。

 そんな、思い出の中のゴジラが、今回は変わり果てていた。
 「怪獣大戦争」(この中で、ゴジラがシェーをしてしまった。)以降ゴジラがより子供向けになり、ひとつの映画に怪獣が沢山でてくるようになりバラエティ化してしまった。(当時、子供の間でゴジラのシェーは相当の話題であったことは確かなんだけど・・・・)
 その、バラエティ化したゴジラをエッセンスとしてまぶしていたのが今回の「ゴジラ FINAL WARS」だった。
 確かに特撮技術など格段とアップしてるのはわかるし、CGの活用により、リアリティのある画像が出来上がっている。でも、すべてストーリーがあってのものでしょう。ゴジラ映画といえども、ストーリーは大切ですよ。寅吉が良かったと思うのは先に挙げた作品と、平成版では、「ゴジラ対ビオランテ」が良かったよ。

 寅吉の希望を言えば、「三大怪獣 地球最大の決戦」を現在の特撮技術をもって、現代の置き換えリメイクして欲しかった。それをもって最後と言われるならわかる気がするが、今回の「ゴジラ FINAL WARS」で最後と言われても、納得できないなぁ。ホント・・・・。

 今年最後の「路地裏の中年」は、寅吉のゴジラ・ノスタルジーでした。
 それでは、良いお年を。

 PS  北村龍平、俺のゴジラを返してくれよ!
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房 寅吉

房 寅吉

東京は下町 浅草生まれ、昔少年だった寅吉も中年の域に達してまいりました。

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